この感情の正体は

ジャニ堕ちの新規若手俳優厨

ジャニ落ちの俳優厨

春と推し変

タイトルは推し変とか書いていますが

私が推し変をするわけではありません。

 

私が推し変をすることはこの先きっとないような気がします。

降りることはあるかもしれない(結婚とかしたら。。。)けど

降りたらもう新しい俳優さんを応援しようとは

思わないし思えないと思うので、降りたらもう他界ですね。

 

そんなことじゃなくて、推し変って降りる前の推しと降りた後の推し

俳優さんは2人出てきますよね。

仮に降りる前の推しをAさん。降りた後の推しをBさんとします。

 

もし自分の推しがAさんだったら同厨が一人減ることになりますよね。

私は別に同拒ではないんで特になんとも思いませんがその人が

めんどくさい人や厄介な人だったらすごい嬉しいですよ。降りてくれてありがとうとかないしや、Bくんにありがとう!とさえ思うと思います。

 

けれど、もし自分の推しがBさんだったら同厨が一人増えることになりますよね。

同拒だったら新しい顔にどこの誰か得体のしれない人に警戒心抱きまくりになります。

そしてAくんに何でこんな厄介を繋ぎとめておいてくれなかったの!!ってどうしてBくんに降りてくるようなことになったの!!ってなると思います。

 

だから、同厨が降りたことを喜んでも次の人が悲しんでるんだろうなと迷惑に感じているんだろうなと春の推し変フィーバーを見て思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同拒ではないと言っていますが、実は最近、自分は同拒なのではないのかなと思い始めていて(どっちだよ)

同厨と推しの話をしたくないって強く思うようになったのです。

聞く分には全然いいのですが自分の話はしたくない。死んでもしたくない。

私と推しさんの話は私と推しさんの話であってそれを同厨と共有したくない。

というなんともわがままな感情を最近持っているのです。

聞く分にはいいと言いましたが、聞いた後に自分と比べて死にたくなるんですよね。

なら聞かなきゃいいのに。気になるんですよね。

 

もう同拒にはならないって思ってたのにな・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつかと今

お久しぶりです。

 

前にブログを書いた時に次の推しさんの舞台が終わったらオタクをやめると言っていました。

 

結局オタクはやめられてないです。

 

と言うか、

やめるもなにも推しさんのお仕事がないのでお金を払って行く現場がありません。

 

だから、貯金したり自分自身にお金をかけたりお洋服やコスメとか好きものをたくさん買える!と思っていました……。

 

推しさんの舞台期間、毎日のように推しさんを観てやっぱり好き大好き。と思って過ごしてました。

大千秋楽の日、今日で推しさんのオタクはやめるんだって思っていました。けれど毎日推しさんの姿をみていてどんどんどんどん好きが募って、溢れていて、こんなにも好きなのに本当にやめられるのかなと思ってしまいました。

 

このまま推しさんを好きでいて今みたいに、今以上に応援を続けていたら自分がダメになるような気がしていて、オタクをやめようと思っていました。

 

 

ここの下書きに

 

*☼*―――――*☼*―――――*☼*―――――*☼

 

 今月で推しさんの舞台が終わります。
この作品が終わったらオタクをやめる。
そう思っていたので、今月だけは何が何でも全力で応援したいと思って応援しています。

でも推しさんに会えば会うほど離れたくない。と思ってしまう。

今回の作品の初日挨拶で満員じゃない客席を観て満員のと言う姿をみて、本当に悲しくなったし申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
どうして満員の客席をみさせてあげられないんだろう。推しさんは全力で役と向き合って全力で板の上に立っているのに。
ネット上にはたくさんファンがいたりするのに結局は客席が埋まらない。
私は、モチベがないから行かない。みたいに思ってチケを全然集めなかった時があって、チケの先行中は確かにモチベはないし好きな作品でもないしあんまり行かないでいいかな、と思っていました。だけど公演が近づくにつれて、なんで自分はチケを持ってないんだろうって思って、推しさんに会える機会がそこにあるのに、なんで行かないって選択をしたんだろうって
 

*☼*―――――*☼*―――――*☼*―――――*☼

 

推しさんが夢に出てきました。

前までは1回も出てきたことなんてなかったのに。『次の作品が終わったらオタクやめる』ってリア友やオタクのお友達などに言いはじめて本格的にオタクをやめるためのことを考えはじめてから、夢によく現れます。
大体、"やめる"って話してる日の夜の夢に現れます。

しかも、変なシチュエーションとかじゃなくて、夢の中でも"推しとファン"の関係が崩れてないという。

夢の中で、なぜかは忘れてしまったけれど推しさんに『ありがとう、いつも。』と言われました。ホントになんて夢をみるんだろう。起きた時に自分が泣いていて、もうどうしたらいいのかわからなくなりました。

推しさんが好きです。大好きです。だからこそ離れたい。このまま好きでいたらいつか嫌いになってしまいそうで怖い。だから、少し離れる。もう全通も多ステも遠征も束買いもランダムファイトもしない。

*☼*―――――*☼*―――――*☼*―――――*☼

 

こんな2つの書きかけの記事がありました 。

 

今もこの書きかけの記事を書いていた時も

大好きなのは変わらない。

けれど、このまま好きでいたら自分がどんどんダメになっていってしまいそうだし、好きすぎて嫌いになりそう。

 

 

大好きな人を嫌いになることほど辛いものはないかもしれない。

 

いつか好きすぎて嫌いになってしまう日が来るかもしれないけれど、そのいつかの為に今、推しさんに会える機会を捨てるのはバカみたい…

 

この先もずっと推しさんを好きでいたい。好きでいられたらきっと幸せだと思う。

この先も大切だけど、私は今推しさんが大好きなんです。

 

 

 

そんな恐怖と共に今日も推しさんに会いに行くために無心で働きます。

 

 

 

気持ちと距離

この間までは比較的にハッピーるんるんな気持ちだったのに

今はとても辛くて悲しくて死にたくて消えてなくなりたい気持ちに

なってるのはなんでなんだろう。

 

次の推しさんの舞台が終わったら真剣にオタクを辞めようと思ってて、

その為に時間を自分から奪おうとインターンや留学などを考えてる

今日この頃です。

 

時間がなくなれば推しさんに会いに行くこともできないし

そうすればオタク辞められるかなって思ってます。

 

お金を違うものに使っても、結局現場前日とか当日とかでもお金なんて

ある程度はどうにかなってしまうから、時間を自分からなくせばいいのかなって。

 

だから、物理的距離を遠ざけるために留学しようと思ったり

インターンとかでしっかりと時間拘束されるものに参加すればいいんじゃないのか

と思ってます。

 

推しさんのことが嫌いになったわけではないです。

むしろ逆で、好きすぎてつらい。

 

推しさんは去年に比べたらゆっくりとしたペースでお仕事をしてて

その空いた時間にワークショップや観劇やら自分のスキルを上げるために

いろんな努力をしていて、そんな姿はやっぱり好きで、

こういう人だから好きになったんだなって。

 

でも推しさんはこんなにも努力をしてて自分と向き合ってるのに

将来のこととかいろいろ考えなきゃいけないのにその事から

目を逸らして逃げている自分が応援してていいのかな

と最近よく考えています。

 

 そらにこのまま好きでいたらいつか嫌いになっちゃいそうで怖い。

 

好きすぎて嫌いになる。なんてそんな悲しいことにはなりたくない。

 

だから、現場控えて行けない、行かないってことに慣れなきゃなって………。

 

あと数年したらどんなに頑張っても現場に行けなくなっちゃうと思うから今の行けるうちに行っておかなきゃとかも思うけど、少し離れないと嫌いになりそうとかいろいろ頭の中がごちゃごちゃしすぎてて消えてなくなりたい、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後悔と記念日

最近、心身ともに追い詰められているのか自分で追い詰めているのかは微妙なラインですがどちらにせよ、目が覚めると"今日も朝か…。"と思う日が続いています。

 

私はずっと推しさんに対する応援はお金がすべてだと思っていました。お金=愛とは言い難いにしろ、"推し"という方に対してお金をかけて応援する。そうすることで推しさんはご飯を食べたり生活ができる。それが事実で、だからこそ、お金をかけて応援しいるファンが推しさんには必要なんだと。

 

けれど、最近気づいたのです。お金でも勝てないものがあると。それは "時間" でした。デビュー当時からファンで好きです!と言いながらも全く現場に来ない人のことではなく、毎公演全通とまでは行かなくても1作品1回は必ず行っていたりする。それをずっと続ける。その時間には今、どれだけお金をかけて現場に通っても敵わないものがあると。

 

そのことに改めて気づいてから、全く行かないわけでもなく、毎作品全通するわけでもない。かと言って、デビュー当初から応援しているわけでもない。どちらも中途半端な自分なんていらないんじゃないのかと考えてしまいます。

 

もっと早く推しさんに出会っていたかった。そんなことばかり考えてしまう。過去に戻れるわけでもない。ならたくさん働いて毎作品全通すればいい。そのために働いてお金を稼がなければいけない。お金がないなんて言い訳でしかなくて、今の時代やる気になればいくらでも稼げる。風や水も自分が踏み切れないだけでいくらでも働くチャンスは転がっている。結局は自分が一番大事で大切で踏み切るほど推しさんのことが好きじゃないんじゃないか。

 

なんで好きになってしまったんだろう。推しさんに出会わなければこんなことも考えなかったのに。なんであの時、目が離せなくなってしまったんだろう。広い舞台の上にたくさんの演者さんが立っていたのに、どうして。

 

推しさんの出ていない作品を観ても、いつも推しさんのお芝居が観たくなる。会いたくなってしまう。なんでなんだろう。

 

なんで、どうしてって、いろんな考えが頭の中をぐるぐるして、ぐるぐるしてもうどうしたらいいのかわからない。

 

こんなどうしようもない感情で溢れている間にも推しさんは前に進んでいるし

新しいファンもついてくる。推しさんには人気になってほしい。

人気に左右されるお仕事だから推しさんが人気になるということは売れていることと

同義だと思う。ファンとして応援しているからもちろん人気になってほしい。 でも心のどこかでこれ以上人気になってほしくないって思ってしまう自分がとてつもなく嫌だ。

 

もう自分が何を思って何をしたいのかすらもわからない。

こんなにも好きになる予定じゃなかった。

”あの時、観に行かなければよかった” なんてことまで思ってしまう。

それ以上にたくさん幸せな気持ちにさせてもらっているのに。

これは後悔なのかなんのかわからないけれど後悔にさせたくない。

 

今日で3年生だ、、、

 

 

 

 

 

 

さよならと確認

2016年最後なので振り返り?気持ちの整理?をしておきたいなって思ってます!

 

 

私は推しさんの顔は全くもって今までのタイプとは違って『なんでこの人なの??(笑)』って昔から私の趣味を知っている友達にはよく言われます。私自身もなんで推しさんなのか謎でしかないです。

 

推しさんを実際に舞台で観るまではビジュアルだけで絶対にこの人は好きにならないなって思っていました。でも実際に舞台で観て目が離せなくなっていて、これが"一目惚れ"というものなんだなと思いました。

 

けれど、あまりにも今までの好きなタイプと、かけ離れすぎていて、推しさんに一目惚れしたと思ったのは一瞬の気の迷いで勘違いなんじゃないのかなと思いはじめました。

 

当時は、まだ他の作品もあまり観に行けていなかったので他を知らないだけで、他の舞台を観て他の俳優さんを観てお芝居を観てとやっていけば一目惚れが気の迷いの勘違いだと気づけると思いました。

 

今年の上半期は私生活も落ち着いてきたのでとりあえずたくさんの作品をたくさんのジャンルのいろんな俳優さんが板の上に立つ姿を観ました。

 

推しさんを好きなのは気の迷いで勘違いだと確認する為にいろんな作品を観ていました。認めたくなかったんですかね、自分が推しさんのことを好きだということを。

 

でもどんなに舞台を観劇しても、いろんな俳優さんのお芝居を観ても作品として楽しむことは出来てもいつも観劇後に、推しさんのお芝居を観たい。推しさんに会いたい。と思っていました。

 

今年の5月に推しさん主演の舞台がありました。そこでもう認めることにしました。

 

私は推しさんに一目惚れをしてしまったんだって。

 

認めてしまうと不思議なことに全てが仕方なく思えてきました。推しさんの出演されていない作品を観終わった後に推しさんのお芝居を観たいと会いたいと思うことも。同厨の発言に違和感を感じていたことも。全部推しさんが好きだから仕方ないんだと思うようになりました。

 

認めてしまったからには中途半端は嫌だったので2Dしていたもう1人の方とお別れする決心もつきました。

 

2Dしていたもう1人の方へ

 

次、あなたのお芝居を観る時はもう推しではなく、1人の役者さんとして観るのだと思うと不思議な気持ちです。

たくさんの幸せな思い出をありがとうございました。

またいつか客席からあなたの歌やダンス、お芝居を観られることを楽しみにしています。

今までありがとうございました。

 

 

推しさんの出演されていない舞台を観劇しに行くことも減りました。代わりに推しさんの舞台に入る回数がどんどん増えて行きました。

 

生活の軸が推しさんに変わっていきました。

 

推しさんに一目惚れしたことを認め改めて大好きだと気付かされた1年でした。

 

もう一つ。

 

推しさんの認知を確認することもできました。

 

もしかして、認知してくれてるんじゃないかな?と思うことは何度もありました。けれど、そんなことない。自意識過剰過ぎる。と自分でずっと否定していました。

 

けれど、先月のあの出来事で認知を確認できました。

 

ずっと私なんて知らなくていい、気づかなくていいと思っていましたがいざ気づいてもらえると嬉しいし幸せだし欲が出てきてしまうんだなって思いました。

 

推しさんに自分のことを応援してる人が1人でもいるってことをわかってほしい。あなたのお芝居が好きで、あなたの仕事に対する姿勢や考え方が好きな人が1人でもいるってことを知っていてほしい。

 

推しさんの夢が叶うことが私の夢です。

推しさんの夢が叶う姿をこの目でみることが私の夢です。

 

その夢に向けて来年も推しさんと共に進んで行けたら幸せです。

 

今年1年沢山いろんなことがあったけれど一目惚れは間違ってなかったです。来年も間違ってなかった。って言えたらいいな。

 

そんな今日2016年12月31日今年最後の日で推しさんに一目惚れしてから666日というゾロ目でした!

 

来年、推しさんにとって飛躍の年になりますように。

 

 

 

 

納めと下書き

今月のはじめの方に現場納めでした的なブログを書きました。

捉え方のズレと願い - この感情の正体は

 

このブログを書いた時は現場納めだと誰もが思っていたはずです。しかし現場納めは不覚にも伸びました。嬉しいです。嬉しかったです。でも発表は直近でチケットの出回りも少なくほぼない状態で半ギレでチケットを探し、結局、現場納めは外せない、、、。という自分の心に負け行ってきました。これが現場納めじゃなかったら行っていなかったはずです(嘘)

 

作品自体は全身の感覚で感じるような作品で気がついたら泣いているようなとても素敵な作品でした。

 

3時間近くの公演の中で推しさんが出たのは一瞬。

 

カテコも合わせて5分も観ていません。

さすがにブチギレでしたが、推しさんが板の上に立つ姿を今年の最後の最後に観ることが出来て、緊張しながらもとても嬉しそうな楽しそうな幸せそうな姿をみれて、何にキレてたのか忘れました。やっぱり推しさんは板の上に立たれている姿、生き抜かれている姿が一番素敵です。

 

と、まぁ、現場納めが終わっていろいろ今年を整理したいなと思ったり、、、。とりあえず下書きに溜まって記事になり得なかったものたちをそのまま消すのが悲しいので載せときます、、、。

 

 

いろいろなものに追われながらこんなにオタクしていていいのかなって最近すごく考えてしまうのは、推しさんの現場が一か月近くもないからなのかなと思っています。
毎月のように推しさんの姿をみることが出来ていたのが、一か月空いてしまっただけでこんなにも情緒不安定になってしまうとは思ってもいなかったです。(前に一ヶ月ちかく空いた時も情緒不安定でした)

私の応援している推しさんについて少し書きたいなぁなんて思ったので書いてみようかなと。

私の応援している推しさんはもうアラサーの年齢になってカッコよさが増してきていて最近のあげられる写真などをみるともうかっこいいのなんのってすごい破壊力です。

私は推しさんの演技を観て彼に惹かれました。その時の共演者には、その人がいたらチケットが取れないとか言われるような人やミュージカルにばんばんでられるような方がいたりとそうそうたるメンバーだったのですが、私は推しさんから目が離せなくなっていました。気づいたらずっと推しさんのことを観ていました。彼の何がそんなにも私を惹きつけたのか当時はわかりませんでした。でも応援しはじめて、彼のいろんな作品でいろんな役を演じられる姿を観てきて、彼の全身全霊をかけて役を生き抜いてる姿が本当に”生き抜く”という言葉がぴったりなその姿が私を惹きつけたのかなと思いました。と言っても彼の作品をまだ9作品くらいしか観劇できていないので、まだまだ推しさんの私を惹きつけたものが何なのかよくわからないのでこれからもたくさん作品を観て推しさんのどんな部分に惹かれたのかちゃんと気が付くことが出来たら今よりも、もっともっと推しさんのことを好きになっていると思うし、気が付いても気が付いても終わりがないような気がしてそれもまた幸せなことなのかなと思ってます。

次推しさんが板の上で生き抜かれている姿を観ることができるのは年明けなのでそれまで黙って働くしかないのかなとも思ってます。

推しさんのお芝居が早く観たい、、、。

 

2016/11/07

 

 この間、今年のすべての運を使い切ったイベントに行ってきました。

推しさんをこんなに近くで観れたのはいつぶりだろうとか思ってしまうくらい近くてメイクが崩れるからと泣かないことに精一杯でした。

ボードやうちわの持ち込み可だったので5年ぶりくらいにうちわを作り、初めてボードを作成したりとイベントに向けてとてもわくわく準備していました。
今回も相変わらずのぼっちで挙動不審の危険人物みたいな動きをしていました。

うちわとボードのダブル持ちで本当に我ながらやっかいなファンをやっていてホントに申し訳ないなと思いながらも公式がOKって書いてあるからと言い聞かせて持っていました。。

推しさんはいつも登場すると会場を見渡してから前の方の下手側から順番に一人一人を見ていくんです。他の人が話している時とかもいつも話聞きながら(寧ろ聞いてないのかも)

 2016/11/14

 

 

先日現場納をしてまいりました。

2016年の現場納(本当にこの後お仕事がなければ)がこの先の長いか短いかわからないファン人生の中で1番濃くて深くい現場納になると思います。

 

2016/12/01

 

 当日に遠征を決めバスを取りホテルを取らないまま遠征先に向かいました。

バスに乗る時間が遅くて本当に行っていいのかちゃんと向こうへの連絡が取れているのか不安で不安で荒れ狂って死にそうになっていました。

けれども行ってよかったと、むしろ帰りのバスで死んでも本望なんじゃないかと思いました。

今の推しさんを好きになってもうすぐ2年という日の短さですが好きになってから、自分のゴタゴタを一段落させて、推しさんの出演されている舞台やミュージカルは1回は必ず、時間とお金に余裕があったら全通や遠征、イベントも直近に連絡があったものは行けなかったりですがほとんど全部に参加させていただいていました。

私の顔を見て「おっ!」と言った声、その後の笑顔とお辞儀と頷きを私は忘れません。多分一生忘れられないと思います。

 

2016/12/01

 

 この間、2016年の推しさんの現場納めでした。
現場納めを終えてから推しさんへの好きが募りすぎていて2ヶ月も現場がないという事実がつらくて仕方がないです。

現場納めも突然の予定変更で急遽行くことになり、いろいろなものを犠牲にしました。これが2016年最後の現場納めじゃなかったら行っていないかったと思います。

現場に向かっている時に何度も何度も、なんでこんなにもいろんなものを犠牲にしてまで推しさんを応援しているんだろう…とずっと考えていました。基本的に1人で現場に向かっている時は大抵ネガティブで病んでるのですが今回に関して直近の予定変更などでかなりメンタルがやられていたので見知らぬ地で1人現場に向かいながら気がついたら涙が出ていたりしていました。

そんなこんなで現場に着いて数人の方と

2016/12/06

 

 推しさんのお芝居を近くで見て、推しさんがどれだけ今の作品に力を入れているのかこの作品に懸けているのかを直に感じることが出来ました。

今、推しさんが関わらせていただいてる作品は早々たるメンバーで誰を真ん中に立たせても素敵な作品になるようなそんなメンバーの中にいます。

 

2016/12/08

 

推しさんのお芝居が観たい……
映像じゃなくて生で観たい……
生で今のお芝居を、板の上で役の人生を生きている姿を観たい……

私は所詮、愛=お金だと思ってしまう人間です。

けれどもその考えは周りの人に対してではなくて自分の中でその考えがあって自分の中で勝手にマウンティングして自分の中で勝手に落ち込んで、なので周りに迷惑はかけてないし、勝手に自分を追い込んでるだけなのでいいのかなと思ってます。

実際、好き好き言うのは嫌いでも、そんなに好きじゃなくても出来るわけで、だから前の界隈で同担拒否をしていた時期に同担がどんなことを書いているのかとかを見るために他担を装って、潜入したりするのは普通にやっていたし、周りも同じようなことをやっている人ばかりだったので当時はまだ若かったのもあるけれど特にこれといってなんとも思っていなかっです。

潜入とかがあったからこそ、好き好き言ってるだけの人は信じられないし、逆に全通とかしている方をみるとすごいと尊敬や憧れの眼差しで見てしまいます。

 

2016/12/09

 

どんだけ下書きに溜め込んでるんだよって自分で突っ込みたくなるし同じ内容について書いてたり相当頭の中パニックだったんだなと思ってしまいました。

 

下書き消費したので今年中に2016年振り返る系の推しさん語る系の記事書けたらいいなと思ってます!

 

 

 

捉え方のズレと願い

いつもお手紙やリプライ、コメントなどをする時に、"怪我などないように"という言葉は、アクションや身体をよく動かすような作品に推しさんが出演されるのなら多くの人が書いたことがあると思います。

 

私も推しさんの出演される作品はアクションや身体をよく使い動かすような作品が多かったので"怪我などないように"と書いていました。けれども、この間の現場納めを終えてから"怪我などないように"と書くことに疑問が生まれました。

 

"怪我などないように"の"怪我"はどの程度の怪我なのだろう、と考えるようになりました。SNSに載せられる推しさんの写真で絆創膏をしていたり、湿布を貼っていたり、テーピングをしていたりしている姿を見たら、どうしたんだろう?大丈夫かな?と私は思ってしまいます。けれども怪我をした本人はその程度は怪我ではないと思っているんじゃないのかなと思いました。

 

私が伝えたい"怪我などないように"と推しさんの捉える"怪我などないように"にズレを感じたので使うのに疑問を覚えてしまいました。

 

現場納めで私の推しさんは私の思う、怪我をしました。練習中の怪我でした。怪我をした瞬間もスタッフの方に手当して頂いている姿も痛そうにしているのに練習を続けている姿も全部、全部見ていました。

 

私はその光景を見ながら、練習を止めて休んでほしいと切に思ってしまいました。けれども、スタッフの方や他のキャストの方に大丈夫??と聞かれても推しさんは笑顔で大丈夫!!と答えて練習を続けていました。それをみて推しさんの中では、この程度は怪我ではないんだなと私は思ってしまいました。

 

だから私は、捉え方の違う"怪我などないように"ではなく、その日から"無理しないようにしてください"と書くようにしました。

 

私の応援している人は贔屓目かもしれないけれど大勢いたキャストの中で誰よりも練習をしていて、役と向き合おうとしていて、演じている役の彼ならもっと上手く出来ているはずだ!と思って練習を繰り返していたと思います。

 

推しさんはこんなにも努力して全力で向き合っているのに私は何も出来ないことに、わかっていたはずなのに悲しくなりました。

 

けれどもそんな姿を見たからこそ、私も全力で応援したい。推しさんが無理してでも、がんばっているのなら私も私なりの無理をしてでも応援したい。そう思いました。

 

"無理しないようにしてください"この言葉もその人それぞれの"無理"があります。けれど怪我などは目に見えてわかる違いだけれど"無理"は目には見えない。自分次第で決まる。だからこそ、"無理しないでください"ならいいのかなと私は思ったのかな………。

 

そんなことを思っても怪我はしてほしくないし無理もしてほしくない。自分の身体を大切にしてしっかりと休息をとってほしい。

ただ願うことしか出来ない自分がかなしくて仕方がないから、毎日彼にとって幸せな日に素敵な日になるように祈るしかないのかな、、、。